地下鉄は万人に開かれた芸術のプラットホームとして最適の場所かもしれない。というわけで、日比谷線に乗って六本木・森アーツセンターギャラリーにて開催中のキース・ヘリング展へ。
まず入口。奥の螺旋階段を登ってからチケット売場に行くわけだが既に面白い。外の景色を見ながら行くも良し。これから同じ作品を見に行く他人の楽しげな会話を小耳に挟むも良し。期待を膨らませるに十分な時間がここで確保される。国立西洋美術館の19世紀ホールに設けられたスロープのような趣がある。
写真撮影が許可されていたので、写真とともに印象的な作品をご紹介。
《無題(サブウェイ・ドローイング)》1981-83年
彼はニューヨークの地下鉄駅の広告板に空きがあれば絵を描いた。黒い紙にチョークで描いた作品群はコミカルで、ポップで、手早く描かれたインスタントなものだった。自分のアートを誰にでも見てもらえるようにするため、彼は誰もが利用するこの公共空間を選んだのだ。展示室内はニューヨーク市営地下鉄内の雑音が流れており、すぐ隣で描き終えたヘリングが立っているような感覚さえした。
《南アフリカ解放》1985年
アパルトヘイトに対する批判が欧米をはじめ世界中で盛んになった頃、ヘリングもまた自分なりのやり方でこれを支持した。
《沈黙は死》1989年
ナチスの強制収容所では同性愛者はピンクの逆三角形のバッジをつけられ識別・管理されていた。その逆三角形を反転させ、同性愛差別に対する反抗を主張した。
上2つのようなポスターは、地下鉄同様誰もが目にすることができる媒体として好んで用いられた。そしてそれは単なるコミカルでポップな絵ではない。社会への強い主張を孕んでいた。
彼自身以上のような言葉を遺している。
《イコンズ》1990年
キース・ヘリング晩年の作品。特に中央のラディアント・ベイビー。
世紀末のニューヨーク。新たな文化の発信地。HIV・エイズに対する偏見や社会の中の暴力や不平等に芸術を以て対抗してきたが、1990年、自身もエイズによる合併症によりこの世を去った。社会の善も悪も見つめてきたヘリングが人類の未来と希望を託したのは、この幼い赤子だった。
そう知った上で乗る帰りの日比谷線。託された希望は叶えられているだろうか。私はそう考えながら、地下鉄の雑音の一部に、文化と未来の一当事者になっていた。